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Published on 3月 25th, 2013 | by Takehiko

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【東京イベント百景ダイジェスト】楽天イーグルスが始めた悪役マスコットとチアリーディングスクールとは?

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皆さん、こんにちは。
關です。

今回の【東京イベント百景ダイジェスト】では、3月23日に開催された『ビジネスはエンターテインメント!ビズリーチ代表・南壮一郎が語る、新規事業立ち上げの極意』<前編>をお届けします。

まずは南さんの自己紹介からスタート。現在は、ビズリーチ(転職情報サイト)に加えて新サービスのルクサ(クーポンサイト)を立ち上げに携わっているとのこと。

 ▼転職サイトのビズリーチ
  https://www.bizreach.jp/mypage/
 ▼LUXA[ルクサ] プレミアムチケットのタイムセールサイト
  https://luxa.jp/

■南さんの経歴

6歳の時にカナダに引っ越した。カナダのトロントで中1まで暮らしていた。
中高は静岡(浜松)で過ごした。
大学はアメリカの大学(タフツ大学)を選んだ。
20年前は未だインターネットも無く、興味本位で留学を選んだ。

その後、日本に戻り「モルガン・スタンレー」(投資銀行)に入社。
2003年、4年間勤めた「モルガン・スタンレー」を離れ、楽天イーグルスの立ち上げに加わる。
そして今から4年前、ビズリーチを立ち上げた。

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傍から見れば「モルガン・スタンレー」→「楽天イーグルス」→「インターネットの社長」。いろいろこの人はやっているよね!と人から言われた。

でも大切なのは「その間」。どんな冒険、どんな旅だったのか?それが自分にとって一番の財産。「何をやっていたのか?」は結果論です。

モルガン・スタンレーから楽天イーグルスに入る経緯については、「絶対ブレない「軸」のつくり方」に詳しく書いているので、機会があれば読んでみて下さい。

 ▼絶対ブレない「軸」のつくり方
  http://www.amazon.co.jp/gp/product/4478015082/

モルガン・スタンレーに行ったから、楽天イーグルスに入れたんですよね!って言われるけど、そんな事はない。本にも書いてあるけど、いろいろ紆余曲折あった。

■ブレない軸

「ブレない軸」について、よく質問されるけど、金融を4年、プロスポーツを5年、インターネットを4年やっている。正直言ってブレブレです。

でも1つだけブレていないのは、その時、やってみたいことに素直に、真摯に行動した。
そして仲間を大切にした。人生のパートナーだと思った。
そして「面白い」を軸にして動いてきた。その軸でキャリアを歩いてきた。

楽天イーグルスも創業当初は6~7人未満でやっていた。
開幕までの4ヶ月半は何かも初めてだった。今思うとどんだけ大変だったんだ!?って思う。

事業ってスーパーマンな人がやっているわけじゃない。皆で最低限何をやらなければいけない事を考え、それを逆算してこなしていった。
それぞれの「どういう形で」「どういう思いで」「どういうプライオリティ」を持ってやっていくかが大切なのです。

最初、キャンプ地を決めろと言われたが、訳が分からず、沖縄県庁に問合せて質問をしたこともあった。三木谷社長からは、いつも「自分で考えろ!」って言われていた。

主体性だったり、やらなければいけないことに対して全部やったり、そんな所から初めていった。

 <創業時の楽天イーグルス>
 ・社長は、インテリジェンスの創業者
 ・事業部のトップは、楽天の最年少の役員
 ・スタジアムのトップは、西武百貨店のマーケティングのトップ
 ・球場長は、東北のマクドナルドの責任者
 ・広報は、電通のワールドカップの広報
 ・管理部はアクセンチュアから転職

自分も最初から社長をしていたわけではない。転職してきたサラリーマン達みんなが楽天イーグルスを回していた。

そこで事業を作る楽しさ、素晴らしさを知った。
それを3年間で教わった。
世の中を変える事って凄く楽しいじゃん!と。

今、自分が仙台駅におりると自分達が作ったイーグルスの帽子やユニホームを見かける。
ユニフォームなんかはデサントに僕たちが発注したんです。
久米島のキャンプ、沖縄県庁に相談した後自分達で選んだ。

野球業界、会社、自分、それらの歴史が全て繋がっている。連動しているんです。

ぶっちゃけ、楽天は3年間給料上げてくれなかった。外資系金融マンやっていた方が給料貰えていた。それは正直儲かっていなかったから。

■学生時代の部活は、ずっとサッカー

自分は小学校から大学まで、ずっとサッカー部でフォワードのポジションをやっていた。
部活ってなんでやっていたのだろうか?

高校の頃、厳しすぎた合宿。合宿は夏休みに3回あった。朝練、昼練、夜練していた。休みは、数日だった。

バイトもせずに、部活をしていた。部活のルールを守って、みんなで勝ちたいという気持ちを持って取り組んだ。新しい練習メニューも編み出した。
小学生に「なんでサッカーしているの?」と質問すれば、「楽しそうだから」と返事が返ってくるでしょう。

でも、社会人になったら急にルールや仕組みに巻き込まれるのか?
これが当たり前だから、これが常識だから、これが勝てるから、って人が考えたルールで進まなければいけないのか?

モルガン・スタンレーの頃、同世代と比較して破格の給料を貰っていた。転職した時、周りからは、何で転職したのか?と問い詰められた。

転職した時、自分自身が「目的」を持っていなかったんだろうか?って思った。
新しい価値を生み出すって凄いな、と。
そしてみんなに批判されながらやっていた。「何で仙台なんかに住むの?地方って楽しい?」
周りはそんな批判ばかり。「やらない理由」ばっかりに疑問を抱いた。

■日本初、子どもに選手コールをさせてみて

自分は子どもの頃、グラウンドに上がってみたかった。
そこで子どもを沢山、集める(グランドに上げる)方法を考えた。
そこで試合前に、外野に子どもを100人入れてキャッチボールをできるようにした。
選手からは、集中が切れると批判された。

また、5回の裏がラッキーチャンスだと言われ、5回の裏の選手コールだけ、子どもにアナウンスさせた。またも、選手や監督から、真剣勝負なのに気が抜けると言われた。
でも強引にやり進めていった。そうしたら、シーズンの終わり頃、選手から「一度ちょっと、うちの子どもにアナウンスさせられないかな?」って言われるようになった。
子どもには一生の思い出になる。僕たちが作っている事業の一部になれるんですよ。

何が嬉しかったかと言えば、この前東京ドームに行った際、「SoftBank 対 巨人」の試合、5回裏に子どもが選手コールをしていた。真似された。
歴史ってこういやって出来ていく。そこにいた4万人は誰が最初に、それを始めたのかは分からないし、知らないだろうけどね。

事業にはこういう楽しみ方がある。
批判もあったけど、仲間がいれば、良い上司がいれば、こういうチャレンジも出来た。
本質的に正しいモノであれば世の中って変わっていくんですよ。


「悪役マスコット」の件も、そうだった。小さい頃、アンパンマンのなかの「ばいきんまん」を見ているのが一番楽しかった。イタズラして笑っている、あのキャラが。じゃあ悪役マスコット作っちゃえ!ってイーグルスに悪役(Mr.カラスコ)を作ってみた。ばいきんまんを真似た「黒」と「紫」の色で!(笑)でもそれがキャラクタービジネスで7000万に。

でも、その後に作ったキャラクター「3人のこびと」は大コケした。ディズニーランドで楽しそうだったから作ったのに。(笑)

そんな風に一部はメディアを通じて他の球団に伝わり、ある意味、仙台の歴史になった。

ジュニア・チアリーダーもそう。ASAYANが大好きだった。仙台に「モー娘。」作ろうと思った。
「モー娘。」の事務所にどこで儲けているんですか?って聞いたらキャラクタービジネスとスクールだと聞いた。そこでチアリーディングをスクールビジネスに変えた。現在、日本最大級のジュニアチアリーディングスクールは実は楽天が持っている。

 ▼楽天イーグルス チアリーディングスクール
  http://www.rakuteneagles.jp/school/cheer_index.php

そのキッカケは、自分がモーニング娘。を好きだったことから始める。

試合が始まれば120人のスタッフに声をかける。
言われたことは70点はしっかりやる。残りの30点は他の業界から、スポーツ業界じゃなくてエンターテインメント業界から引っ張ってくる。

発想はありきたりかもしれないけれど、
それを実行することは、とても大変。でも、そこが重要。
面白いモノがあれば、他の業界から持ってくればいいじゃん。

■楽天イーグルスを離れることに

じゃあ、なんで楽天を辞めるに至ったのか?

球団社長から呼ばれて、「これからどうするんだ?」と聞かれた。
自分は「新手のリストラ手法ですか?」って質問した。(笑)
社長からは「せっかく事業を作る面白さを教えたんだから、1回チャレンジしてこい。お前の夢はプロ野球球団のオーナーって聞いてるけど、ここに居たらなれないぞ。」と言われた。
「でも、ゼロから何かを作るのって大変じゃないですか?」と言った。

お金を振れば出てくる「小槌」があったら、これは振るほうが簡単。
起業って言うのは、小槌を作る役割に当たる。つまりよく考えるととても、非効率なんだよね。

金銭的には、給料上がっていなかった。
28歳、3年で日本国民の9割が知っている仕事をやった。

確実に、与えられたタスクに対して、ちゃんと期待通りのこともやったし、プラスアルファのこともやった。
それをやったことによって事業を作る楽しみも知った。

そして2007年5月、放り出されたというか、楽天を辞めたんです。

【後編に続く】


About the Author

Takehiko

2012年は、年間500のFaceBookイベントに参加。イベントの見つけ方や、イベント参加のTipsなどを書いていければと思います。





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